STORY

てんちかよりみちストーリー

ちょっぴりエモい思い出

父からのプレゼント

今も鮮明に覚えている、天神地下街にあったおもちゃ屋。小学生の頃、ファミコンが発売されて少し経った頃だったと思いますが、お正月のお年玉を手に、父と並んで購入した記憶があります。父はあらかじめ入荷日を確認するために何度も通ってくれていたようで、結局はお年玉は使わず、父が買ってくれたのです。それまでもそのおもちゃ屋は、私にとってクリスマスプレゼントを買ってもらえる特別な場所でした。そしてもう1つ大切な思い出があります。子供の頃、歌うのが大好きだった私の枕元には、朝起きると時々レコードが置かれていました。その時に流行っていた曲のレコードを、父が買ってきてくれていたのです。私が初めてお年玉でレコードを買ったのも、父がいつも買ってきてくれていたのも、天神地下街のレコード店でした。父からのプレゼントの思い出の場所。そんな父は、チロルで珈琲を飲むことが多かったようで、今でもチロルの前を通ると「ああ、ここに父がいたんだな」と、実際に見たことはなくても、そこにいた父の姿をそっと想像しています。

◎ストライプ/50代/女性

はじまりの場所

私にとって、てんちかは「はじまりの場所」。高校生の頃、キラキラした福岡で大学生活を送ることは、地元の長崎にいた頃からの強い憧れでした。受験のために福岡を訪れた日、私は父とてんちかを通って試験会場へ向かっていました。緊張でいっぱいいっぱいの私を見て、父もきっと不安だったはず。そんな時、父は笑いながらこう言ってくれました。「福岡で大学生になって、ここでお母さんと買い物できたら素敵やね」その優しい言葉に背中を押され、「絶対にその夢を叶えたい」と試験会場へ向かったのを覚えています。結果は、見事合格。夢だった福岡での生活が始まり、父の言葉どおり、母とは何度もてんちかで買い物を楽しみました。そして今、私は福岡の街づくりの仕事に携わり、街と人とをつなぐ側に立っています。あの日の私のように、誰かの背中をそっと押せる場所にすること。それが、今の私の次の目標です。そんなきっかけを作ってくれた大好きなてんちかは、これからも私の原点です。

◎みかんちゃん/30代/女性

雨の日の臨月ウォーキング

18年前、初めての子どもを妊娠中、ベテラン助産師さんに身体作りのために毎日最低1万歩歩くように言われていました。梅雨の時期、雨だから歩けなかったと言うと「天神地下街を端から端まで何往復もしたらええ!」と言われ、大きなお腹を抱えながら予定日が近かった仲良しの妊婦友達と一緒によく歩きました。炎天下や寒い中、ただただ歩くのは辛いものですが、てんちかは夏は涼しく冬は暖かくいつも適温で快適。お店を見ながらおしゃべりして歩くのは楽しく、また疲れたらお店に入ってお茶を飲んだり出来て、気がつけばいつも軽く1万歩を超えていました。今でもてんちかを歩くとあの頃のことを思い出します。小さかった息子もおかげさまで今年成人(18歳)しました。出産とそれからエンドレスで続く子育てのための身体作りに、てんちかは欠かせない存在でした。今娘もいるのですが、いつか娘が母になったら、雨の日のてんちかウォーキングをおすすめしたいと思います。

◎すみっこ/40代/女性

祖母の手のぬくもり

「はぐれたらいかんよ」そう言って、祖母は私の手をぎゅっと握りました。幼稚園の頃、毎週のように家族で歩いた天神地下街。あちこちの施設へとつながる通路は、子どもの私にはまるで迷路のようでした。少し落とされた照明にワクワクしながらも、胸がドキドキしていました。そのたびにぎゅっと握り返してくれる祖母の手のぬくもりが、迷路のような世界に小さな道しるべを灯してくれました。天神地下街開業当初から続く「チロル」で食べたソフトクリームは、今も変わらぬ思い出の味です。やがて私も母になり、今度は息子の小さな手を握り、同じ場所を歩くようになりました。そんな息子も、今はもう中学生。今でも天神地下街に訪れるたび、祖母の手のぬくもりとあの頃の思い出が、私の心を温かく灯してくれます。

◎くるみ/40代/女性

小さな本屋がくれた心の宝物

数年前に他界した父は、私が小学生の頃から長年、家から50kmも離れた病院に入院しており、隔週のお見舞いの日はいつも、母と一緒に天神を経由して病院へと向かっていました。その途中、天神でバスを乗り換える際、地下街にある小さな本屋に寄るのが私たちの「決まりごと」でした。そこで毎回、母に新しいコミック本を一冊買ってもらうのが、私にとって何よりの楽しみだったのです。当時の私にとって、貴重な休日を遊びに費やすことができず、遠くの病院まで通い続ける日々は、決して楽なものではありませんでした。しかし、手に入れたばかりの本を開けば、帰りの車内は一変して、ワクワクする世界へと変わりました。物語の世界に没頭することで、移動の疲れも、幼心に感じていた寂しさも、いつの間にか忘れることができたのです。今振り返れば、あの小さな本屋で買ってもらった一冊一冊が、幼い私の心を支えてくれていました。大変だったはずのお見舞いの記憶は、年月を経て、私を癒してくれる温かく大切な思い出として、今も心に深く刻まれています。

◎愛治采/50代/その他

わたしへの クリスマスプレゼント

小学生の頃、私は天神地下街で小さなクリスマスツリーと、それを彩るオーナメントを購入しました。当時、遠賀郡から両親と一緒に国道3号線を車で走り、街へ買い物に行くのは何よりの楽しみでした。父のボーナスが入った12月、お正月に着る洋服などを買いに天神へ出かけた時のことです。ふと地下街で見つけた雑貨屋さんの小さなクリスマスツリーとオーナメントがとても可愛くて、どうしても頭から離れなくなりました。一度はその場を離れ、「チロル」でソフトクリームを食べましたが、やはり諦めきれませんでした。私は、郵便局に貯金していた自分のお金を引き出してほしいと母に頼み込み、それを購入したのを鮮明に覚えています。2つ合わせて5,000円ほど。当時の私にとっては、とても高級な買い物であり、人生で初めて自分のお金で手に入れた宝物でした。あれからもうすぐ40年経ちますが、今でも毎年、クリスマスが来るとそのツリーを飾ります。箱から取り出すたびに蘇るあの時のワクワク感は、天神地下街からの毎年届く、私への特別なクリスマスプレゼントです。

◎nao33/40代/女性

アペティートのパン

私の姉は、56歳で亡くなりました。タバコは吸わない人でしたが、突然の肺癌。手術はできず、抗癌剤治療で入退院を繰り返す日々。闘病は、約1年に及びました。亡くなる少し前、姉は天神北から地下街へ向かい、大好きなアペティートのパンを買ったそうです。けれど、身体がついていかなかったのか、それ以上はどこにも寄れずに帰ったそうです。その日、そのことを本人に聞き、買ったパンを目にした私は、「大好きなパン、買えてよかったね」と言いながら泣いてしまいました。それが、姉にとって最後の天神地下街となりました。今でも地下街を訪れるたびに、深く思います。天神地下街を自分の足で歩き、好きなお店に行けること。それは、なんて幸せなことなのだろう、と。

◎ヒロッペ/60代/女性

ほろにがカーネーション

小学生の頃だっただろうか。私は母の財布から、こっそりと千円札を抜き取った。漫画が欲しいわけでも、お菓子が欲しいわけでもなかった。向かったのは、天神地下街にある花屋だった。当時は今ほど物価も高くなく、千円あれば立派な鉢植えを買うことができた。千円で買えるカーネーションは、つぼみがぎゅっと詰まっていて、見るだけで元気がもらえるようだった。私は五百円でも八百円でもなく、その千円のカーネーションの鉢を選んだ。お店の人が「お母さん思いでえらいね」と言って、おまけに一輪挿しもくれた。だけど、それを手渡した時、母はものすごく怒った。「こんなことしたって、お母さんは喜ばないよ!」そう言って、私のほっぺを思い切り叩いた。叩かれた痛みよりも、母を泣かせてしまったことが、何よりもつらかった。あれから歳月が流れ、社会人になった私は、初任給で母にカーネーションをプレゼントした。「ありがとう」や「ごめんなさい」を込めて。やっぱり、その時も、母は泣いた。けれどそれは、あの日の涙とは違う、温かな涙だった。

◎じゅん/40代/男性

わたしを取り戻す場所

育児とコロナ禍が重なり、自分のためのお洒落なんてとうに忘れていた日々。夫の「今日は俺が見るから」という言葉に背中を押され、私は1人で天神地下街へ向かった。目的は、誰の歩幅にも合わせず、自分だけの荷物を入れた小さなバッグひとつで歩くこと。ふと立ち寄った店で選んだのは、今の生活では「選んではいけない」はずの揺れるピアスと、真っ白なニットワンピースだった。ピアスは子どもを抱っこすれば引っ張られるし、白の洋服なんて言わずもがな。けれど、あの時の私にとって、それは「わたし」になれる、何よりの処方箋となった。今はもう子どもも大きくなり、白い服も、揺れるピアスも、1人の歩幅も自由だ。けれど、地下街を歩くたび、自分を取り戻したあの静かな高揚感と、それでも結局は子どもが恋しくて急いで家路についた、あの日のかけがえのない記憶を鮮やかに思い出す。

◎かやぼん/40代/女性

待ち合わせの本屋さん

私のてんちかの思い出は、母と待ち合わせた本屋さんです。中学1年生の夏休み、両親の離婚を機に、私は母と2人で暮らすことになりました。転校したばかりでまだ友達も少なかった頃、仕事帰りの母とてんちかの本屋さんで待ち合わせをして、お店を見て回るのが当時の私にとって唯一の楽しみでした。まだ携帯電話もなかった時代。「まだかまだか」とソワソワしながら待ち合わせたあの時間。今でも天神地下街を通る時には、あの頃の母との時間を思い出します。たまに買ってもらったパン屋さんやサンリオショップ、マツヤレディスまで歩いてバスに乗って帰る道。思い出すのは母と過ごした楽しくて温かい思い出ばかりです。てんちかは、今でも私にとって特別な場所です。季節ごとに変わるイルミネーションや装飾が楽しみで、定期的に訪れたくなる大切な場所のひとつです。

◎もも/50代/女性

クスッとほほえむ思い出

レンガに刻んだ「犬の散歩」

小学6年生の私にとって、初めて1人で地下鉄に乗って向かった天神地下街は、まるで異世界の迷路だった。目的はおもちゃ屋。当時熱狂していたハイパーヨーヨーの検定を受け、自分の腕を試すためだ。スマホも下見もない時代、迷いながら辿り着いたその場所は、少年の私にとって唯一の聖域だった。30ある技のうち、3回失敗すれば即終了。意気揚々と挑んだ初検定は、2つ目の技「犬の散歩」で幕を閉じた。地下街特有の硬いレンガの床。そこでヨーヨーを転がすのはあまりに難しく、母に買ってもらったばかりの相棒は一瞬で傷だらけになった。あの時の、胸が疼くような悲しさは今も忘れられない。それから半年、猛練習を重ねたが、小学校の卒業と共に足は遠のいた。大人になった今、あの石畳を歩くたび、ガリガリとヨーヨーを転がした記憶が蘇る。あれは単なる検定への道ではなく、少年期の最期に踏み出した、私にとって最も熱い「寄り道」だったのだ。

◎黄金馬券師/40代/男性

先生の見回り

35年前、高校3年生だった頃の学校の帰り道。友人4人と地下鉄を途中下車して、新天町や天神地下街をぶらぶらと歩いていました。結んでいた髪を下ろし、リップを塗って、ルンルン気分でお店をぶらぶら。当時、あるお店の商品を手にとって眺めていると、お店の外から異様に視線を感じて顔を上げると、こちらをガン見している学校の先生2人と目が合い、頭の中が真っ白に。「ヤバい…」と思いながら固まる私たち。先生に手招きされ、解いた髪やリップのことを注意されました。「寄り道せずに早く帰りなさい!」と促され、私たちは渋々、それぞれ帰宅。いまだに、あのお店があった辺りを通ると、当時のハラハラした気持ちが懐かしく蘇ります。今、ビッグバン計画で思い出の建物が次々に新しくなり寂しいばかりですが、地下街に入るとあの頃にタイムスリップしたかのようなワクワクした気分になります!あのどこか懐かしいレトロな場所がいつまでも続きますように…

◎MM2525/50代/女性

上を向いて歩こう

ずっと福岡に住んでいます。独りの時。彼女ができた時。結婚してからも。家族ができても。いつの時代も、天神にくると天神地下街を歩いている自分がいました。沢山の思い出のなかでも強く心に残っているのは、私が30歳の頃の思い出です。当時、抱っこ紐の中にいた子どもが、天神地下街に入ると急に笑うのです。なぜ笑っているのか、私と妻はいつも不思議に思っていました。それから数年後。5歳になった子どもと2人で天神地下街を歩いていたとき、ふと子どもが言いました。「ここの天井っておもしろいよね。なんか覚えてる。」この言葉を聞いて、ハッとしました。抱っこ紐の中で笑っていた理由は、この天井に広がる「唐草模様」だったのだと。赤ちゃんの視点からは、歩くたびに天井の模様がぐるぐる動いているように見えて、それが楽しかったのかなと勝手に解釈しています。11歳になった今でも、一緒にここを通る時は、上を向いて歩いています。

◎しんのすけ/40代/男性

ハラハラの花道

天神地下街が開業して間もなく、私は私立女子高の生徒になりました。当時は校則が非常に厳しく、放課後の寄り道などもってのほか。天神コアには生徒指導の先生が目を光らせていました。けれど、地下鉄への乗り換えのために通る天神地下街は、いわば生徒指導の「グレーゾーン」。左右に連なる華やかなお店を眺めながら踏み締める石畳は、私にとってのまさに花道!まだ今よりも短い地下街だったけれど、ショッパーズへ続く階段が見えてくると、そこで「周れ右」をして、もう一方の通路を歩いたものです。50周年を迎えたてんちか、おめでとう!これからも私にとっての心躍る花道でいてください。

◎ととと/60代/女性

キュンと恋する思い出

ソフトクリームはキューピッド

約27年前、地下街のインフォメーション前にあったワッフルとコーヒーのお店で、学生だった私はアルバイトをしてました。お店の前に置かれたソフトクリームの大きなランプの電球が切れてたので、取り替えようとしました。ところが、ソフトクリームがなかなか外れず、メガネをかけた真面目そうな男性の先輩にお願いしたところ、土日の人通りが多い地下街の人波にソフトクリームの上の部分が勢い余って飛んで行ってしまいました。幸い誰にも当たらなくてよかったですが、彼は特にリアクションも見せず、淡々とソフトクリームを追いかけ、走って取りに行きました。少し話しかけづらい雰囲気の人でしたが、その時の様子が、なぜだかとても可愛らしく感じました。そんな彼との出会いから、私たちは今年で結婚24年目を迎えます。

◎はるらんまん/40代/女性

長くて淡い片想い

30年前、通学でてんちかを通っていた時、あるお店の店員さんに片想いをしていました。そのお店を通る時は、ドキドキしながらチラッと見るのが精一杯。「あ、今日は目が合った」と一喜一憂し、店員さんを「お兄さん」と呼び、友だちにも話して、お兄さんをチラ見してはキャッキャと騒ぎながら通う毎日でした。その後、大学進学、就職と年を重ねていきましたが、お店の前を通ることは続き、お兄さんは店長になられ、20年以上も働き続けていました。私は職場が変わっても、てんちかを通る時はお兄さんのお店の前をドキドキしながら通って、まだ働いてるのを確認してはホッとしたものです。ところが、コロナ禍を境にてんちかの風景は変わり、老舗のお店も閉店するところが出てきました。ある日、久しぶりにお兄さんのお店の前を通ると、そこには数日前に閉店したという貼り紙が。私の長くて淡い恋はこうして終わりました。今もどこかで、お兄さんが元気に働かれていることを心から祈っています。

◎サクラサク/50代/女性

名もなきバンド

天神地下街ができた時、私は高校生でした。当時は部活動に明け暮れ、早朝から休日まで練習が続く毎日。たまの部活休みの日、天神地下街をめぐることが何よりの楽しみでした。そしてある時、巡り合ってしまったのてす。部活の疲れや日々のストレスを一瞬で吹き飛ばしてくれるような存在に!てんちかの特設ステージに、そのバンドはいました。テレビに出ているようなバンドではなく、多くの人は通りすがりに見ていくだけでしたが、私と友達は何かに引き込まれるようにステージへ近づき、夢中で手拍子や拍手を送り、興奮の時を過ごしました。それからは、いつステージがあるかも分からないまま、時間を見つけてはてんちかに通う日々。名もなきバンドのステージを人知れず応援することが、高校生活に彩りを与え、私たち2人の絆を深めてくれました。その友人は20代という若さで亡くなりましたが、てんちかではしゃいで過ごした時間は、50年たっても色褪せることのない、大切な思い出です。

◎杉浦麻里子/60代/女性

時計の前で待ち合わせ

主人と私がまだ恋人同士だった頃、待ち合わせはいつも、地下街の時計の前でした。当時は携帯電話もなかったので、主人は北九州から、私は久留米から、時計の前でひたすら待ち続けていたことを、今でも鮮明に覚えています。「この場所だったらわかりやすいから」と2人で決めた、時計の前。時には時計を見つめながら「まだかな?」と不安になったり、時には「もうすぐ会える」というドキドキ感で心が張り裂けそうになったり。あの頃、主人はどんな気持ちで私を待っていてくれたのでしょうか。結婚して、主人と地下街を通るたび、若かったあの頃を懐かしく思い出します。先日も、主人が「ここだったね。」と、あの時計に指を差してくれました。

◎はっぴぃ/50代/女性

片想いのち両想い

まだ大好きな彼に片想いをしていた時のこと。帰り道、天神地下街で道が分かれるとき、バイバイってした手が触れて、少しだけぎゅって握ってくれた彼。えっ?!って混乱しながら、どきまぎしながら帰ったことを鮮明に覚えている思い出の場所です。

◎mami+/30代/女性

案内所のスケッチ

小学校4年生の時です。今でもはっきり覚えています。当時、私は福岡市内の小学校に通っていました。その日は先生の誘導でバスに乗り、校外スケッチに出かけました。行き先は、天神。「公共交通機関の利用を学びながらスケッチ大会をする」という、社会科見学も兼ねたような行事でした。地下鉄の乗り口まで辿り着くと、先生から「地上には上がってはダメよ」と指示を受け、私たちは地下街でスケッチ場所を探すことになりました。みんなが地下鉄のホームや改札口に夢中になる中、私の目を引いたのは、地下街案内所のきれいなステンドグラスの灯りとそこで働く素敵な案内のお姉さんでした。私はその光景に釘付けになり、目の前に座り込んで1時間ほど筆を動かしました。時々、ニコッと微笑みかけてくれるお姉さんの笑顔が、今でも忘れられません。その後、小学校で何の絵画展に出したのか覚えていませんが、その絵が佳作に選ばれ、しばらく教室の後ろに飾られていたことも、今では良い思い出です。

◎なんの。/40代/女性

偶然の再会

短大生の時、天神地下街の洋菓子店でアルバイトをしていました。バレンタインのチョコに名前を入れたり、クリスマスには連日ケーキの販売で大忙しでしたが、今でもケーキやパンを焼くことは好きです。ある日、友人とおしゃべりしながらアルバイト先へ向かっていたところ、数週間前に合コンで行ったお店でアルバイトをしていた方とてんちかの石畳で偶然再会しました。その再会をきっかけに、お付き合いが始まりました。その後、遠距離恋愛も含めた5年間の交際を経て、私たちは結婚しました。10代で知り合った私たちも、今ではお互い還暦を過ぎ、今年で39回目の結婚記念日を迎えます。これまでの結婚生活には紆余曲折ありましたが、2人の息子にも恵まれました。あの日、偶然再会することがなかったら、お互いまったく別の人生を歩んでいたと思うと、不思議なご縁を感じます。当時のデートの待ち合わせ場所は、いつも天神地下街中央広場の時計の前でした。

◎マム/60代/女性

待ち合わせはマツキヨの前で

てんちかに入った途端、夫が「あ!梅の種、ホテルに忘れた」とつぶやいた。太宰府で奉納するはずだった、大事な種。久々の旅に浮かれていた私は、そのひとことでプンスカと機嫌を損ね、早足に。ずんずん進んでふと振り返ると、夫がいない。慌ててスマホを探そうとしましたが、な、なんとスマホは夫が着ているコートの中。初めての福岡、初めてのてんちか。方向音痴の私は、地下街で何十年ぶりかの「迷子」になってしまったのです。胸がぎゅっとして泣きそうになりながら、必死で案内板を探しました。ようやく見つけたマップの中に、ふと「マツモトキヨシ」の文字が飛び込んできました。そうだ、結婚前、いつも待ち合わせたのはマツキヨの前だった。「ここでも、もしかしたら…」その一心で、場所を確認して走り出しました。黄色と黒の看板の下、夫が私のスマホを片手に笑って立っていました。「いたぁ…」勝手に迷子になった私を責めずに待っていてくれた夫。梅の種ひとつで怒った心がほどけていく。「梅が枝餅、三つ買って」とねだると、「もちろん。お茶も買おうか」と夫。迷子にならぬよう、私は夫の手をぎゅっと繋ぎ直しました。

◎すなおなす/50代/女性

三段の割子と重ねた三十年

19世紀欧風の街並みが広がる天神地下街。20代の私は、洒落た石畳をヒールで鳴らし、素敵なカフェでデートをすることに憧れていました。けれど、ひと回り年上の彼が連れて行ってくれるのは、決まって渋い佇まいの『加辺屋』。正直、「せっかくの天神なのに、お蕎麦?」と、どこか不満に思っていました。いつも注文するのは、朱塗りの器が重なる「割子そば」。やさしい蕎麦湯の香りに包まれながら、黙々と蕎麦を啜る彼。そんな彼に合わせ背伸びをし、静かな時間を過ごすうちに、私は少しずつ、流行り廃りではない「本物の心地よさ」を教わっていたのかもしれません。あれから30年。あの時の彼は、私の夫になりました。今でも夫婦でてんちかを訪れると、吸い寄せられるように、足があの店へと向かいます。器を一段、また一段と重ねて味わう割子そばのように、私たちも丁寧に年月を重ねてきました。あの時背伸びをして味わった「心地よさ」が、今の私には何よりの贅沢です。

◎おかわりさん/50代/女性

やさしくてあったかい思い出

二度目の勇気

幼稚園くらいの頃、天神地下街で母とはぐれてしまいました。弟とふたり、あまりの人の多さにのまれて、ただ立ち尽くしていました。迷いに迷って、ようやく近くのお店の方に「お母さんとはぐれた」と言うことができました。けれど、「案内の人に言ってみようね」とやさしく促され、今度は自分たちでそこまで行かなければならなくなりました。せっかく勇気を出したのに、また知らない人に話しかけないといけない。そのことがとても恥ずかしくて、心細くて、胸がいっぱいになりました。それでも必死に歩いて、案内所でもう一度「お母さんとはぐれた」と伝えました。案内の方は、小さな私と目線を合わせて、優しくうなずいてくれました。再会した母は、私たちが駅まで行ったと思い、必死に探し回っていたそうです。再会した瞬間、強く抱きしめられたあのぬくもりを、今も覚えています。てんちかは、小さな私が人生で初めて「二度、勇気を出した場所」です。

◎はら/30代/女性

地下街が託してくれた 小さな音のバトン

初めての産休に入ったあの頃、私は毎日、不安と向き合っていた。母になる喜びよりも、「自分にできるのか」という怖さの方が大きくて、心はいつも揺れていた。そんな私が救われたのが、天神地下街を歩く時間だった。人の流れにそっと紛れ、親子の笑い声や店先の灯りを眺めていると、張り詰めた胸の奥が少しずつ溶けていった。あの日、ふと立ち寄った店で、小さなベビー用のおもちゃを手に取った。やさしい音が鳴るそのおもちゃは、初めての子を迎える不安でいっぱいの私を、そっと抱きしめてくれるようだった。そして今、春に生まれてくる第二子を思いながら、そのおもちゃをそっと手に取る。あの頃の私が涙をこらえながら選んだ、小さな“希望”のかけら。それをまた別の小さな手に渡せる日が来ると思うと、胸がぎゅっと熱くなる。

◎ゆゆ/30代/女性

閉店間際のあたたかさ

仕事で大きなミスをした日の帰り道だった。取引先に送るはずの資料データを誤って上書きしてしまい、元に戻せなくなった。確認不足で先方や上司に多大な迷惑をかけ、打ち合わせも中断。自分のせいで全てを台無しにしたように感じて、しばらく顔を上げることができなかった。真っ直ぐ帰る気にもなれず、何も考えたくなくて天神地下街に入った。閉店間際の通路をあてもなく歩き、ふと目に入った店で商品を手に取り、そのままレジへ向かった。その時、店員さんが「今日もお疲れさまでした」と声をかけてくれた。その一言で、こらえていたものが一気にあふれ出し、思わず涙がこぼれた。店員さんは少し驚きながらも、「大丈夫ですよ」と静かに、優しく言ってくれた。それだけのことだったけれど、不思議と気持ちが軽くなり、「また明日やり直そう」と思えた。今でも天神地下街を歩くたびに、あの日のことを思い出して、少しだけ背中を押してもらった気持ちになる。

◎ひきわり/20代/女性

キラキラの息子

小さい頃から綺麗なものが好きだった息子。イルミネーションの季節になると、いつも夜景を見に行きたがった。けれど当時、離婚したてで働き出したばかりだった私は、夜は疲れ果ててしまい、出かける気力なんて残っていなかった。ある冬の日の仕事帰り、いつものように地下街を通って帰っていた時のことです。イルミネーションに彩られ、いつもより輝きをました帰り道。向こうから、満面の笑顔でこちらへ駆け寄ってくる息子を見つけました。帰宅まで息子を見てくれていた母が、「お迎えに行こう」とイルミネーションを見せるために連れてきてくれたのでした。仕事の疲れは不思議とどこかへ飛んでいきました。息子は小さな頭をキョロキョロさせて、天井や通路の光を堪能していました。それから、母と息子と私で輝く地下街の中を散歩しました。あれから15年。今でも同じ通路を歩くたび、キラキラとした笑顔で駆け寄ってくる幼い息子を思い出します。

◎りお/50代/女性

思い出のワンピース

高校生の頃、初めてのバイト代を握りしめて、天神地下街に向かいました。お洒落な店員さんのいるお店で、思い切って選んだのは少し大人っぽいワンピース。それを手にした瞬間、何だか大人になったような気分で天神地下街を歩きました。そして、そのワンピースを着て好きな人に会いに行くと、「そのワンピース、可愛いね!」と言ってもらえて嬉しかったことを思い出します。てんちかは今も変わらず、お洒落なファッションを届けてくれる大好きな場所です。少し薄暗くてヨーロッパの街並みのような雰囲気が本当に素敵で、全国どこを探してもない唯一無二の魅力を持つ地下街だと思います。変わりゆく天神の中で、変わらない魅力を守りながらも進化していく天神地下街を楽しみにしています。これからも天神地下街と共に、楽しみながら過ごして行けたらと思います。50周年本当におめでとうございます!

◎あーちゃん/30代/女性

かわいい思い出

26年前、私は息子を背中におんぶし、2歳の長女の手を引いて天神地下街に入りました。初めて地下街を訪れた娘は、薄暗い地下にびっくりしたのか、「歩きたくない」と泣き出しました。当時の私は子育てに疲れ気味で、気分転換をしたくて天神地下街を選んだのです。外出先で子どもに泣かれてしまうと、母である私の方が泣きたくなるような心境でした。その時、近くを歩いていたご高齢の女性が、娘に「怖くないよー」と優しく声をかけてくださいました。そのお陰で娘はぴたりと泣き止み、一緒に天神地下街を歩くことができたのです。あの一言、あの優しさに助けられた出会いは、今も忘れられません。そんな娘も、今月29歳になります。娘も、当時の出来事をうっすらと覚えていると話してくれます。今では、天神地下街は私と娘が待ち合わせする大切な場所になりました。これからも、天神地下街で素晴らしい出会いが生まれることを願っています。天神地下街でのひとときは、今も変わらず私の大切な楽しみです。

◎みやっち/50代/女性

なつかしくおいしい思い出

父とレアチーズケーキ

31年前の阪神大震災で、神戸の実家が倒壊しました。それをきっかけに、福岡の私の家で両親の7か月にわたる避難生活が始まりました。父が62歳、母が59歳の時のことでした。疲れきった両親が元気を取り戻すきっかけとなったのが、天神地下街でした。ケーキが大好きだった2人が見つけたのが、1番南側にあったボンサンクのケーキセットです。それから何度も通いました。美味しそうに、そして嬉しそうに珈琲を飲みながらケーキを食べる時間は、私たちにとってかけがえのないものとなりました。お店の方も、いつも優しく温かい言葉で迎えてくださり、両親はすっかり明るくなっていきました。特に父は、レアチーズケーキが大好きでした。突然の大きな災害で一瞬にしてすべてを失い、「人生に希望はあるのか?」と落胆していた2人にとって、手を差し伸べてくれた地下街は、心の中にそっと差し込む光でした。両親は亡くなりましたが、地下街を歩いていると、今でも当時のことを思い出して涙がこぼれます。2人はきっと、どこかで50年経った地下街を眺めていると思います。

◎神戸大好き/60代/女性

スイートポテトの甘い思い出

子供の頃、母に手を引かれて歩いた天神地下街。歩き疲れると、母は決まって、天神地下街のロイヤルホストに連れて行ってくれました。そこで食べたスイートポテトの、やさしい甘さと温もり。それは、母と過ごした穏やかな時間そのものでした。今でも忘れることのできない、思い出の味です。母を亡くして25年。その頃に出会った夫と、私はまた天神地下街を歩くようになりました。気がつけば、夫と通い続けてきた年月も25年。今ではそのファミリーレストランのスイートポテトの味は、夫とのかけがえのない時間を刻んでくれる、もうひとつの大切な思い出の味になりました。天神地下街には、人生の記憶に残る味と、個性豊かな店が今も所狭しと息づいています。

◎てんちか好き/50代/女性

初恋のスパゲッティ

昭和57年頃、天神地下街の地下鉄乗り場近くにあった小さなスパゲッティ専門店。当時はまだ、スパゲッティといえば家で母が作るか、食堂で食べるかくらいしか選択肢がなかった時代。女子高生だった私は、ドキドキしながらその店のドアを開けると、明るい店内に若くハンサムなシェフたちが並んでスパゲッティを作っていたのです。すり鉢状の木の器に、明太子とスパゲッティを入れ、クルクルと混ぜ合わせていく、その手作業が魔法のようでした。そして、そのスパゲッティの美味しかったこと…それは、今まで食べていたボソボソした明太スパゲッティではなく、今で言う「アルデンテ」の麺に、バターと生の明太子を余熱で仕上げたような感じ…その爽やかな若いシェフたちの姿と、キラキラと光っていた明太スパゲッティは、43年経った今でも忘れません。

◎ももこ/60代/女性

まさかのハッピーな思い出

母の憧れと娘の夢

私が30歳、長女が5歳くらいの時の話です。当時、私は憧れのSamanthaThavasaのバッグが欲しかったのですが、まだ娘に手もお金もかかる時期。高級なバッグを買える余裕もなく、娘と時々訪れる天神地下街で、我慢しながら「見るだけ」のつもりでお店に立ち寄っていました。キラキラと輝く店内で、私はふと娘に「大人になったら、ここの店員さんになってね」と言いました。その言葉を覚えていた娘は、20歳でSamanthaThavasaに入社。入社後の勤務先は、思い出の「てんちか」でした。その後、博多やキャナルシティ、パルコと、ステップアップしながら各地の店舗を経験。今は、故郷ともいえる「てんちか」の店舗に帰ってきて、店長として店を支えております。入社したての頃はたどたどしい接客でしたが、今では貫禄もあり、成長を感じてます。そして先日、あの時私が我慢してたバッグを娘がプレゼントしてくれ、嬉し泣きしました。てんちかは、娘の夢が叶った場所です。

◎サマタバまま/50代/女性

誰も持たない地下街の思い出

私は誰も持たない「私だけの地下街の思い出」を持っている。実は、平成12年9月に開催された天神地下街絵画コンクールで、一般の部最優秀賞を受賞し、中央広場に私の絵「リヤカー通りの午後」が展示されたのだ。これを見た友人が急遽博多駅前のホテルで、高校時代のクラス会を計画してくれた。関東以西から30名ほどが集まってくれ、楽しい語らいの翌日みんなで地下街を散策し私の絵も見てもらった。40歳を過ぎて絵を描き始めたので、友人たちは私の趣味を知らなかった。86歳になったいま何よりの思い出である。

◎さかいたかし/80代/男性

石畳の魔法

初めての育児に悩み、戸惑ってばかりいた10年前。生後半年の長女をベビーカーに乗せ、私はよく天神地下街を歩きました。買い物はもちろん、目的のひとつは娘の「お昼寝」です。地上の喧騒とは違う落ち着いた暗がりと、ヨーロッパ風の石畳が刻む「ガタゴト」という微細な振動。それが心地よいリズムになるのか、普段ベビーカーではなかなか寝付けない娘も、てんちかに入ると魔法にかかったようにスヤスヤと眠ってくれました。当時の私にとって、ここは社会と繋がるための大切な場所でした。育児で塞ぎ込みそうな日も、「今日はてんちかまで行こう」と自分を奮い立たせ、おしゃれな街の空気に触れることで心からリフレッシュできました。時には泣き止まない娘を抱っこし、荷物だけを乗せたベビーカーを引いて帰る日もありましたが、今ではそれも微笑ましい思い出です。あの石畳を歩くたび、当時の自分を応援したくなるような温かい気持ちに包まれます。

◎3839/40代/女性

亡き祖父に会える場所

天神地下街は、亡き祖父と私を繋ぐ場所です。生前、祖父と祖母は毎週のように地下街でデートをしており、そこで見せる祖母の輝く笑顔を見るたびに、祖父は惚れ直していたそうです。けれど、その祖父は若くして病でこの世を去りました。祖母は悲しみ、思い出の詰まった地下街へ毎週のように通い続けました。そんなある日、地下街を歩く祖母は、笑顔でこちらに向かって歩いてくる祖父に出会ったそうです。きっと祖父は、天国に旅立った後も大好きな地下街と、大好きな祖母のことが忘れられずに訪れたのでしょう。その笑顔に再会できたことで、祖母は再び前を向いて歩き出すことができました。私は、祖父が亡くなった後に生まれたため、一度も会ったことがありません。けれど、祖母からその不思議な話を聞いて以来、私も会いたいと思い、何度も天神地下街に訪れています。おじいちゃん、天神地下街での私の弾けるような笑顔を見て、会いに来てくれないかな。そう願いながら、私は今日も天神地下街へと向かっています。

◎ミファ/40代/女性

わたしを癒してくれた おつかれさマルシェ

ある日の夕方、仕事終わりに私はひとりでふらっと「おつかれさマルシェ」に立ち寄りました。ビールを1杯頼み、「はぁ…」と深いため息をつく。当時の私は私生活で悩みを抱え、心身ともに疲れ果てていたのです。その時、前のテーブルに座っていらした初対面の女性と、どちらからともなく言葉を交わしました。何気ない会話だったはずが、なぜか不思議と話が弾み、見ず知らずの彼女に、自分の悩みを打ち明けていました。その方は、私の話をとても親身に聞いてくださいました。「初めて会ったのに、こんな話をしてしまってすみません」そう謝る私に、彼女は、「知らない人の方が話せるってこともあるんじゃない」と、言ってくれました。その方に「ありがとうございました」とお礼を伝え、そのままお別れしました。名前も連絡先もお互いに聞くことはありませんでしたが、私は何だか救われた気がしてとても気持ちが軽くなりました。私の母と同じくらいの年代の女性でした。あの女性には、本当に感謝しています。ありがとうございました。「おつかれさマルシェ」は、私を癒してくれた素敵な場所でした。

◎あおぞら/50代/女性

運命の再会

小学生の頃、私はよく友人とてんちかで遊んでいました。けれど私が長崎に引っ越すことになり、依頼、私たちは手紙やメール、LINEと形を変えながら交流を続けていました。時代と共に仲は深まっていくものの、学生にとっては長崎と福岡の距離はあまりに遠く、会えない日々が続きました。社会人になり、自分のお金で友人に会いに行ける環境にはなりましたが、長年文字だけで交流を続けていたため、いざ会うとなると緊張が勝ってしまい、なかなか約束を取り付けることができないまま数ヶ月が過ぎていきました。そんなある週末、家族とてんちかをブラブラしていると、思い出に残る顔よりも大人びた表情をした、けれど微かに幼い面影を残した彼女を見かけました。勇気を出して声を掛け、待ちわびた再会を実現。あの日以来、今では年に何度も会う親友になりました。あの再会がなければ、ずっと会えずにいたかもしれない。てんちかが勇気の魔法を掛けてくれたのかもしれません。

◎朶余暇凪月/30代/女性