STORY

てんちかよりみちストーリー

「てんちかよりみちストーリー」受賞作発表!

みなさまからご応募いただいた「わたしのてんちかの思い出」の中から、選ばれた50作品を一挙公開!
天神地下街が誕生してから50年の間に紡がれてきた、一人ひとりの心温まる物語を、ぜひご覧ください。

最優秀賞

  • 浴衣と からくり時計

    今から35年前、天神地下街の呉服屋に就職しました。ある日のこと、1人の女性がお母さまと一緒に来店され、仕立て用の浴衣をご購入。接客中に「可愛いな」と思い、出来上がりの時にまた会えるのを楽しみにしていました。しかし、浴衣を受け取りにこられたのはお母さまだけ。彼女には会えませんでした。残念だと思っていたところ、後日その女性の友人が来店し、「浴衣を買いにきた人を覚えていますか?」と、声をかけてくれたのです。覚えていることを伝えると、「その女性が、一緒に大濠花火大会に行ってほしいと言っているけど、どうですか?」と聞かれ、私は即答で「行けます」と答えました。当日の待ち合わせ場所は、からくり時計の前。花火を見に行ったのですが、私はとにかく印象を良くしようと、花火そっちのけで話をしていました。次に会える日をなんとか設定し、待ち合わせの場所は、またからくり時計の前。それから何度も一緒に過ごす時間をつくりましたが、待ち合わせ場所はいつもからくり時計の前になりました。月日は流れ、その女性は私の妻となり、今でも仲良く過ごしています。

    ◎ガリー/50代/男性

  • 似たもの親子

    大学在学中、私は演劇活動にのめり込んでいました。稽古の後は天神地下街で仲間たちとご飯を食べて帰るのが日課。気づけば大学3年生。周りは就職活動を始めるなか、私は上京して役者の道に進むと決心しました。家族からは猛反対され、父とは喧嘩ばかりしていました。大学3年生の夏休み、リビングでテレビを見ていると、父から「飯食いにいかんね」と誘われ、天神地下街の手打蕎麦『加辺屋』へ行くことに。家族でよく訪れていた場所でしたが、父と2人で来るのは初めてのことでした。「将来のことで、また何か言われるんだろうな」そう思いながら食べていると、父が「芝居をやりたいなら続けなさい」と言いました。「いいと?」と思わず聞き返すと、「言っても聞かんけんね。誰に似たんやろうね」と言われ、「親父やろ」気づけば、そんな言葉が口をついて出ていました。それを聞いた父は、笑っていました。あの日から月日は流れましたが、私は今でも、働きながら芝居を続けています。

    ◎おっくん/30代/男性

優秀賞

  • パリとローマの旅

    「え!当たったの?」就職して2年足らず、天神地下街オ−プン、始めての抽選会。なんと大当たり。初めての海外旅行、どうする私。英語も話すことができず、貯金もない中、行くか辞めるか。「こんな機会はないので、ぜひ行きなさい」と母から背中を押され、1人で参加する事に。申し込みに行った日は成人の日。振袖姿で天神地下街へ。ドキドキしながら参加しましたが、皆さま優しく接してくださり、とても良い思い出になりました。パリとロ−マの旅。エッフェル塔、凱旋門、オペラ座では本格的なオペラも鑑賞し、ロ−マではトレビの泉でコインも投げ、色々とはじめての経験をさせてもらいました。次の日からは「またしっかり働いて貯金しよう」と誓った日を思い出します。早いものであれから50年。私もとうとう70歳。若かりし淡い思い出がよみがえり、ほっこりしました。

    ◎ジュン/60代/女性

  • てんちかに 風が吹いた

    私は小倉発の高速バスで、2人の妹は佐賀からの高速バスで、待ち合わせは天神バスセンターでした。バス停で落ち合って食事をしたはずなのに、どこのお店だったか、何を食べたかの記憶がないのです。でも、3人でおしゃべりしながら、天神地下街を端から端まで楽しく歩きまわったことは、はっきりと覚えてます。おしゃれな洋服店、小さな雑貨屋さん、呉服屋さん。あるショップで妹が、「これいいね」と黒の十二枚はぎのフレアスカートを手に取り試着室へ。鏡の前に立っていた妹のフレアスカートの裾が、まるで風が吹いたようにふわりと広がりました。それは、3人で買い物している私たちの姿を、早世した両親が風になって、笑いながら見ていたような気がしました。子どもの頃は仲が良いとは言い難い姉妹でしたが、40歳を過ぎ、子育ても経験した私たちは、いつの間に良き相談相手に。サイズ違いで3人とも黒のフレアスカートを購入し、今でもそれぞれのスタイルで裾をふわりとさせて着ています。

    ◎ミモザ/60代/女性

  • 初めてありがとう を言えた日

    20代の頃、仕事で大きな失敗をし、自分の価値が分からなくなった夜がありました。上司の言葉が頭から離れず、家に帰る気にもなれないまま、雨の福岡を当てもなく歩いていました。気づけば天神地下街に入り、そこで仕事帰りの父と合流。スーツ姿の父は1日の疲れを感じさせながらも、「少し休もうか」と言って喫茶店に入ってくれました。向かい合って座り、私は初めて胸の内をすべて打ち明けました。父は最後まで遮らずに聞き、ただ一言「人生、回り道も悪くない」と静かに言いました。帰り際、人の流れが絶えない天神地下街で、胸の奥にしまっていた「ありがとう」を伝えると、父は照れたように小さくうなずきました。その無言の時間が、何よりも温かく、心に残りました。あの喫茶店のコーヒーと、父の背中は、今も迷うたびに思い出す、私の原点です。

    ◎レンガ道/40代/男性

  • 涙の石畳

    時はバブル。ソバージュヘアにハイヒールで、キャリアウーマンを気取って闊歩していた頃のこと。てんちかの石畳に、ずっぽりとヒールがはまり、抜けなくなってしまいました。私にしては少しお高めのブランド靴で、ヒールの高さもかなりあり、その場で脱いで靴を引きぬくのは、とても恥ずかしかったのを覚えています。かかとの痛んだ靴のままでは困るので、てんちかの靴修理店を利用しました。それ以来、ハイヒールを履く時は、石畳を避けて両脇のレンガを歩くように。時は流れ、今ではナイキのエアマックス一辺倒。石畳の真ん中をどんどん歩いています。南端の大好きなクロワッサンを買ったり、いざという時のためにロイヤルデリを買ったり、カルディのコーヒー豆を選んだりと、生活に欠かせない買い物を、この年齢なりに楽しめるようになりました。移り変わるポップアップストアや、大好きな台湾グルメとの出会いもある。天候にかかわらず楽しめる天神地下街に、心からのおめでとうを伝えたいです。

    ◎びおら/60代/女性

  • 怖くて震えた スパゲッティ

    買い物に出かけると、いつも私たちは天神地下街のスパゲッティ専門店で夜ご飯を食べた。その日も私は、お決まりのミートソーススパゲッティ。祖母も慣れた様子で何かを注文した。けれど、祖母の前に出されたお皿を見て、私は震えあがった。スパゲッティが黒い。そんな色の食べ物、これまで見たことがない。不安げな私と目が合った祖母は、「さ、食べよ!」と、いつものようににっこり笑い、その怖い麺をいそいそ食べ始めた。けれど、普段おしゃべりな祖母が、食事中一言も話さず、帰り道でも極端に口数が少なかった。バスの中でこっそり祖母の顔を盗み見ると、くちびるが悪魔のような色になっていて、小さな私はまた震えあがった。そんなことがあってからも、私たちはそのお店が大好きで、いつも変わらず優しいレストランだった。「おばあちゃんがイカ墨を食べたのは、あの日が最初で最後だった?」今となっては、もう確かめることはできません。

    ◎佐原 貝/40代/女性

  • サクラソウの初恋

    50年前の高校生の頃、天神地下街の中央広場でお花売りのアルバイトをしていました。春はサクラソウの鉢植えをメインに、たくさんの花々の香りが地下街に広がり、多くの方が鉢植えや切り花を手に取ってくださいました。ライダースーツにヘルメット姿の、ちょっと怖いお兄さんも常連さんの1人でした。「小さな鉢植えや可憐な切り花を、少しだけ部屋に飾るのが好きなんだ」と、照れくさそうに目尻をしわくちゃにして話すお兄さんに会えるのが、私の楽しみになっていました。ある日、いつもと違うブレザー姿のお兄さんに、両手いっぱいのカスミソウのラッピングを頼まれました。いつもの照れた笑顔の先には、清楚な女性の姿。真っ白な肌に真っ赤な口紅の似合う、素敵な大人の女性。当時大ファンだったキャロルの永ちゃんに似たお兄さんへの、淡い恋の思い出です。

    ◎サクラソウ/60代/女性

  • 白いブーケ

    今の夫と、初めてデートをした日のこと。カフェで長話をしたあと、解散する流れになりかけたけれど、もう少し一緒にいたくて、勇気を出した。「てんちかで、少し歩きませんか」クリスマスシーズンのてんちかは、天井のイルミネーションがきらきらと輝いて、光の道のようだった。青山フラワーマーケットの前で、白みがかった小ぶりなブーケに見惚れていると、彼は迷わず手を伸ばした。あわてて遠慮する私に、「僕もちょうど欲しかったから」と笑いながら、もう1束選んだ。帰宅後、贈ってもらった花を水切りしていたら、携帯が鳴った。彼にとって、自分のために花を買うことなど初めてだったらしい。送られてきた写真には、大きく無骨なコップに生けられた花が、ひときわ愛らしく写っていた。てんちかを歩くたび、あの写真を思い出す。1歳の子どもが大きくなったら、きっとこの話をするつもりだ。

    ◎ミラノ/30代/女性

  • オルゴールの音色

    息子が幼稚園生の頃、転勤で福岡に来ることになりました。まだ知り合いもいなかったので、よく天神地下街を息子と買い物がてら散歩していました。すると、どこからか素敵なオルゴールの音色が。その音色に誘われるように、息子は猛ダッシュ!音色と共に人形が動いているのを、息子は食い入るように見続けていました。そして、オルゴールが止まるまで、その場をずっと離れないのです。それ以来、「またオルゴールを聴きに行きたい!」と、てんちかにいく回数も増え、何度見ても嬉しそうな息子との時間もゆっくりと過ぎていきました。そんな息子ももうすぐ17歳。2人でてんちかを散歩する機会は少なくなりましたが、今では私があの頃を思い出しながら感慨深くオルゴールの音色を聴いています。

    ◎もっちゃん/50代/女性

  • 天神地下街を 駆け抜けて

    18歳の頃、私は天神地下街を駆け抜けていました。福岡市外から、1時間30分かけて高速バスで実家から通学していたため、帰りの高速バスの出発時間に間に合わせるには、信号のない天神地下街は近道にぴったり!キラキラしたお店を横目に、必死に駆け抜けていました。それから約12年後。福岡市で働き始め、今度は地下鉄を使って、天神南駅から天神中央郵便局のバス停を目指し天神地下街を通るようになりました。まだほとんどのお店が開店していない地下街を歩くようになりました。仕事終わりには、かつて横目で見ていたキラキラしたお店をのぞき、たまに寄り道しながら天神地下街を歩いています。そして今年の春、私たち夫婦の間に子どもが生まれる予定です。雨や風、外の暑さ寒さからも私たちを守り、新しいお店が増えていく天神地下街。新しい家族の形でまたここを歩けることを想像しながら、「これからどんな思い出が増えていくのだろう」と胸を膨らませています。きっとこれからも、私の人生のそばで、天神地下街は変わらず在り続けると思います。

    ◎みかんの木/30代/女性

  • あかねまる

    てんちかと私は同い年。今年で50歳になります。てんちかが誕生して1年経った頃、私は1歳。活発だった私を持て余していた母は、毎日のようにてんちかへ出かけ、私は嬉々として闊歩していたそうです。天候に左右されず、車の危険もないてんちかは、1歳の“お散歩”には最適の場所。毎日のように歩いていると、いつも出会う筑紫女学園の高校生が声をかけてくれるようになりました。私の名前が「あかね」だと知ると、「あかねまるー!」と呼んで、とてもかわいがってくれたそうです。それから十数年後、母とてんちかを歩いていると、1人の女性が母に声をかけてきました。「もしかして…あかねまるじゃないですか?」その人は、あの時の筑紫女学園のお姉さんでした。お姉さんも結婚して母になり、時は流れていたけれど、「あかねまる」のことを覚えていてくれたのです。てんちかが長い時を経て繋いでくれた、不思議で温かいご縁。そして、私の今の呼び名は「あかねまる」です。

    ◎あかねまる/40代/女性